2010-12-23

ゴッホ展・没後120年


一週間ほど前のことですが、<没後120年 ゴッホ展>に行ってまいりました。
於・国立新美術館 公式HP→☆



開催期間が長いのでそのうち、と思っているうちに会期末が迫り、夜8時まで開館している金曜日の夕方近くに思い立って急行、並ばずに済みましたが、館内はやはり混んでおりました。

キャプションの解説を読むのも順番でしたので、あまり利用したことのない<音声ガイド>を~解説=安住紳一郎氏で即決♪~この音声ガイドはシートの当該の絵にタッチペンを当てると安住サンのあの声による解説が始まる、というすぐれもので、初体験でした(キャプションの解説と音声ガイドでは内容が多少違っておりました)。


ゴッホの油彩画36点、版画・素描32点、ゴッホのオランダ時代やパリ時代に関連ある画家の油彩画31点、版画8点、その他関連資料16点の計123点が、時系列で展示されておりました。

オランダのゴッホ美術館とクレーラー=ミュラー美術館からの作品を主に、<こうして私はゴッホになった>という展覧会の副題通りに、ゴッホと影響関係や関連がある作品や資料を通じて、画家ゴッホのスタートから晩年までの足跡を6つのセクションで辿ることができました。


Ⅰ. 伝統―ファン・ゴッホに対する最初期の影響

ゴッホ(1853-1890)は27歳で画家となることを決意、37歳で生涯を閉じるまでの10年間が画家としての活動期ですが、下の2作は初期の作品と後年の作品を併置することで、ゴッホが受けた影響や作風の変化を明示しようと意図する展示でした。

フランスのバルビゾン派や写実主義、オランダのハーグ派等の影響のみられる左図と、パリ時代等を経て後年ゴッホ自身が発展させた様式による右図との相違は一見して大きいものですが、生涯を通じて対象やモティーフに対する真摯な姿勢は変わらず、また戸外制作の試みも続けられたと解説されておりました。

            《秋のポプラ並木》           《曇り空の下の積み藁》
                1884                     1890


Ⅱ. 若き芸術家の誕生

このコーナーでは、素描を重視したゴッホが版画や技法書の模写を通して勉強した素描作品や油彩画、ゴッホが参考にした当時のオリジナル版画等、またゴッホが指導を受けたアントン・モーヴの2作も見ることができましたが、ゴッホの勉強家ぶりが知られるコーナーでした。

16世紀のドイツの巨匠ハンス・ホルバインからも学んでおりますが、でもなんとなくゴッホぽい(右)。

                《ヤーコプ・マイヤーの娘 (ホルバインによる)》
                           1880-81

オランダの伝統的な静物画の系譜を感じる作品ですが、ゴッホの身近にあったものでしょうか。

                      《麦藁帽子のある静物》
                           1881


Ⅲ. 色彩理論と人体の研究―ニューネン

素描の研究から絵画の研究へと向かったこの時代、ゴッホは素描時代に引き続きドラクロワから色彩理論や人体のヴォリューム、フォルムを学び、有名な油彩画=《じゃがいもを食べる人々》(本展には展示されず)を完成させます。

<参考・1885年・アムステルダム ゴッホ美術館>


上図に基づいたこのリトグラフは左右が反転しており、油彩画のイメージを友人や知人に伝えるために制作されたそうですが、その時は好評を得られず、、、でも現代の私たちの時代には 《じゃがいもを食べる人々》 この時期のゴッホの大切な傑作となりました。

                      《じゃがいもを食べる人々》
                            1885

Ⅳ.パリのモダニズム

1886年にパリに出たゴッホは、特に印象派の画家達とその色彩の使い方や点描技法を称賛し、影響を受けて、自身の手段や様式を発展させようと様々な試みをしておりますが、ゴッホにける日本の浮世絵が果たした役割も大きいものでした。

色彩は次第に明るく、そして筆遣いもゴッホらしくなってくる時期の、素敵なお花の絵です。

                        《バラとシャクヤク》
                            1886

ゴッホが好きだった画家=アンリ・ファンタン=ラトゥール、意外に思いましたが、実は私も好き♪

                     アンリ・ファンタン=ラトゥール
                    《静物(プリムラ、梨、ザクロ》
                          1886頃

厚塗り技法や筆触の面でゴッホが大きく影響を受けたモンティセリ、彼を生涯敬愛しました。

                   アドルフ=ジョゼフ・モンティセリ
                         《女の肖像》
                          1871頃

印象派のスタイルで描かれた動きのある画面、風がこちらに吹いてくるようで新鮮です。

                     《ヒバリの飛び立つ麦畑》
                          1887年

ゴッホは気に入った絵には自ら額縁を製作して額装したそうですが、唯一現存する本作は黄色と黄土色という似通った色合いによる実験的な作品で、当時制作していたヒマワリ同様、筆致の変化のみで「トーン・オン・トーン配色」と呼ばれる効果を生み出しているとのことです。

                     《マルメロ、メロン、梨、葡萄》
                           1887年

パリ滞在中ゴッホは少なくとも23点の自画像を描いたそうですが、この小品は長めの幅広の筆致で、新印象主義の点描派の画家たちの色彩理論を取り込んだ、ゴッホ独自の動きのある独特の画面が構成されており、やはり印象に残るファン・ゴッホ氏です。

                    《灰色のフェルト帽の自画像》
                           1887年

Ⅴ.真のモダン・アーティストの誕生―アルル

1822年にアルルに移ったゴッホが、いわゆるゴッホらしい様式を確立する時期で、10月~12月末までゴーギャンを招いて共同制作に励みますが ‘耳切事件’ で終幕~~有名な作品がいろいろ残されております。

アルルのゴッホの寝室ですが、展覧会場に復元された部屋は絵から受ける印象より狭く、ゴッホはこの部屋を簡素と考えていたようで?? 3点描かれたゴッホの寝室のうち本作は画面が大きく、最初に描かれた作品だそうで、空間が広くとられているようです(他の2点はオルセー美術館とシカゴ美術館が収蔵)。

                        《アルルの寝室》
                           1888年

ゴーギャンのためにゴッホが用意した椅子、ゴーギャンの人物像であるとも解されておりますが、補色(反対色)の赤と緑による夜の室内を黄色の灯火が鮮やかに照らし出しております。

                       《ゴーギャンの椅子》
                          1888年

これまで学んできたオランダの伝統的技法やドラクロワの色彩理論、そしてパリの前衛的な様式や浮世絵の大胆な構図など、それらが一気に開花したのがアルル時代であるといわれておりますが、これは素敵な静物画ですネ、タマネギでどんなものを作ったのでしょう。

                     《タマネギの皿のある静物》
                          1888年

浮世絵の大胆な構図と、ゴッホが画家を志した頃から繰り返し研究されてきたミレーの ‘種まく人’(岩波書店のマーク) の集約ともいえる有名な絵ですが、小さいのにさすがのインパクト。

                          《種まく人》
                           1888年

ゴッホはパリ時代に浮世絵を蒐集し始め、それらは350点にのぼる江戸後期の作品だそうですが、画面を色面に分割する手法や大胆な構図を自身の作品に取り入れてその効果、大。

    歌川国芳(左 1797-1861)・歌川広重(右上 1797-1858)・作者不詳(右下)


Ⅵ.さらなる探求と様式の展開―サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ

療養院で過ごすようになったこの時代のゴッホに新たな技術的展開はなく、また色彩も控えめとなっているそうですが、このアイリス図は黄色と青(本来はもっと紫が強かったとのこと)の補色の関係が鮮やかで、量感のある花のせめぎあいも素晴らしいです。

                          《アイリス》
                           1890年

左は療養院の庭、右は療養院からの外出を許可されてでかけた渓谷を描いたもので、ゴッホ自身が満足したしるしとして Vincentの署名が付されておりますが、どれも素敵で絵葉書を。

                《サン=レミの療養院の庭》 《渓谷の小径》
                           1889年

オーヴェールでゴッホが親しくしていたゴッホの医師=ポール=フェルディナン・ガシェのこのエッチングは、ガシェ所有のプレス機で刷られたそうですが(左はゴッホが試験的に赤の絵の具を使用)、これに先立ってゴッホはガシェの油彩の肖像画2点を制作しており、その肖像画1点がひと頃日本の企業家の許にあったことは有名な逸話となっております →☆

                      《医師ガシェの肖像》
                         1890年

<参考 《医師ガシェの肖像 第一ヴァージョン》 個人蔵 1890年>




以上、ゴッホの作品についてはこれまで何度も日本で大きな展覧会が開かれ、また旅行先で見たこともあって、さほどの期待を持たずに美術館に出向きましたが、本展は解りやすい構成で点数もほどよく、就中<Ⅳ>のコーナーでの明るい色彩への転換などはしっかり実感でき、またゴッホ以外の作品や資料の質も高く、予想以上に見応えのあるゴッホ展でした。

故にこのページの長さも尋常でなくなりましたが、改めて、ゴッホが弟テオとやりとりした『ゴッホの手紙』を読んでみたいと思っております←感動的~☆





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2 comments:

きぃくん said...

安住紳一郎氏チョアなんですね♪
タッチペンでの解説って面白い仕事もしてるんですね。

絵画には全く無知な私ですが、旅行先のアルルでゴッホの療養院とか跳ね橋とかカフェテラスとか連れられて行ったので、無知な私にも印象に残ってます。

耳を切って入院とか狂人?(作家とか画家に多いですね)と思いましたが、たまたまメトロポリタン美術館で見たゴッホの「ファーストステップ」は、こんな絵も描くんだぁ、ととても印象に残りました。

「種を撒く人」はミレーの絵がモチーフだったんですね。
画風も後期の作品をよく見ますが、前期の頃とは又全然違うんですね。

多分自分から足を運んで見ることはないので、色々興味深かったです。

Jasming said...

きぃくんへ♪

ひとり言のページにコメントをありがとうございます☆

安住サン、最近彼なりに少し痩せて、よりチョアです・笑
音声ガイドは割と有名なアナウンサー系の方が担当したりしてますけれど、タッチペン方式は初めてでした。

アルルか~、いいなァ、お父様が連れて行ってくださったのでしょう、素敵な思い出ですネ。

ゴッホは殆ど独学でしたから、有名な作品は晩年の2,3年に集中しているようで、初期の茶褐色の絵から後年の色彩は全く想像できませんネ。

ミレーの「種撒く人」はたしか日本にもあるかと思いますが、ゴッホはミレーをお手本にたくさん勉強したようです。

暮の忙しいこの時季の美術館レポ、止めようかと何回も思ったのですが、きぃくんのコメントをいただけて嬉しかったデス。