2008-10-20
歌謡・雙花店
《霜花店》について、昨日興味深い記事が出ておりました~
この映画のことを知ったばかりの頃に調べたことがあったのですが
高麗の歌謡《雙花店》についてです。
《雙花店》とは《お饅頭屋さん》のこと。
歌謡《雙花店》は、高麗の実話に基づいた宮廷秘史の映画=
쌍화점の、ユ・ハ監督のインスピレーション源なのですね。
長くなりますが、記事と参考資料を載せておきます。
◆サングファゾム(双花店)◆
週刊始興新聞 【掲載写真なし】
チョ・インション, ジュ・ジンモ, 宋至孝主演の史劇サングファゾム(双花店)が封切りを控えて俳優たちの果敢な露出と激情的な情事シーンが予定されていると言って多くの関心を催している.
どの位なのかはまだ秘密に積もっているが忠武路で出回る言葉では “今まで出た韓国映画中一番果敢な映画になること.” という衆論だ.
サングファゾムの専門医翻訳本は次のようだ.
饅頭店に饅頭を買いに行ったら
刺身回(回回)父が手首を握っていたよ
この言葉が店外に出れば入れば
ダロロゴデ−ロ
やや小い子芸人君の網と言おう
ドロドングショングダリロデ−ロダリロデ−ロダロロゴデ−ロダロロ
その席に私も定木に選り分けなさい
胃の上ダロロゴデ−ロダロロ
その杯ところのように鬱蒼なのがない---
三長社というお寺へ行ったら
その絶義主人が手首を握っていたよ (リフレーン)
井に水を育てて行ったら
井の容易私の手首を握っていたよ (リフレーン)
スルパは家におごりに行ったら
その家主人が自分の手を握っていたよ (リフレーン)
‘サングファ’は ‘床花’ともふやかしたし小麦粉を折り目の細かい器に打ってどぶろくを交ぜて練って脹らました後皮むいた小豆を煮込んでつぶして小麦粉を広げてこれ �Zで中を入れてこしきに蒸し出す高麗の時からの食べ物を言う.
この歌は当時の退廃的で乱れる性倫理を描いた高麗時代の歌で朝鮮成宗の時には淫らな歌で排斥受けたりした歌だ.
皆 4章になっているし刺身回父, 三長社の地主, 井の竜, 居酒屋父などが女を誘惑して不倫の関係を持ってそのうわさを聞いた他の人々が ‘私もその所に寝に行くと言う内容だ.
刺身回父は西域から来たイスラム教徒を意味するのにこれを見れば高麗時代にもう中東地域のイスラム教徒との交易があったことを志している.
また ‘井の容易私の手首を握っていたよ’ という内容で見れば古代で竜は王を象徴する動物だが高麗時代での竜は王ではないようでたぶんその地域の顔役を言うようだ.
この歌を見れば歌を歌う女人は刺身回父そして三長社の主旨, 井の容認その地域の顔役, 居酒屋主人との自由 奔放なロマンスを歌ったと見えるのに高麗時代の代表的な擾廃歌謡を映画でどんなに表現したのか封切りが待たれる.
[2008/10/19 15:33]
http://www.sh-news.com/sub_read.html?uid=1710§ion=sc7§ion2
次は天理大学・岡山善一郎教授による高麗の歌謡《雙花店》についての論攷ですが、上の記事に関係あるところを抜粋してみました。(【 】内緑字はヤスミン)
◆高麗の歌謡 岡山善一郎 ◆
先月号の郷歌に続いて、今回は高麗時代(927-1391)の歌謡について述べる。
前代の郷札式表記の郷歌は、高麗時代に入ってからも継承されたが、第16代の王、睿宗(えいそう)(1097-1122)が開国功臣を追悼して作ったという「悼二将歌」を最後に、韓国国文学史上その姿は消えてしまうことになる。
その理由は、郷札の専修が難しかったことと、高麗の初期から中国の科挙制度を取り入れたことなどによって、漢文学が隆盛したことにある。
漢文学の隆盛は、高麗時代の歌謡において、景幾体歌(別歌体ともいう)という新しい歌謡群を生むことになる。【景幾体歌は「翰林別歌」など3種が伝えられているそうですが、以下、大きく省略します】
~~省略~~
高麗時代の歌謡の主流をなすものは、いわゆる高麗の俗謡である。俗謡という名称は、『高麗史』楽志の俗楽という記録に由来するが、これは、雅楽・唐楽に対して、宮廷歌謡としての民間歌謡を意味している。
現在、高麗の俗謡とみなされているものとしては『楽学軌範』、『楽章歌詞』(16世紀頃編纂された編者未詳の歌集)、『時用郷楽譜』(15世紀頃編纂された編者未詳の楽譜集)に収録されている13首があるが、これらはみな後代の朝鮮時代になってハングルで筆録されたものである。
その他として、歌詞の伝承されていない不伝歌謡が39首あり、漢詩体に助詞として吏読式表記を附した、いわゆる漢詩懸吐のものが5首ばかりある。ここでは俗謡を中心に高麗の歌謡を述べることにする。
高麗の俗謡13首(先月号でふれた「井邑詞」を入れて14首とする見解もある)について略述すれば次の通りである。 【以下①~⑪までの内容についての略述も省略しま~す】
①「動物」 ②「処容」 ③「西京別曲」 ④「青山別曲」 ⑤「鄭石歌」 ⑥「思母曲」 ⑦「履霜曲」⑧「カシリ」(行こうとなさるのかという意味)【カジマ、に関係あるのかも~♪】 ⑨「満殿春別詞」 ⑩「維鳩曲」 ⑪「相杵歌(そうしょか)」(以上『時用郷楽譜』所載)。
その他「鄭瓜亭(ていかてい)」と「雙花店」については、直接歌謡を吟味しながら、それらの歌謡が持つ意味、背景、伝承のあり方などについて考えてみよう。
【「鄭瓜亭」については省略、ですが、高麗の俗謡中作者(鄭叙、12世紀頃)が知られる唯一の例で、古代歌謡と中世の高麗の歌謡の接点たるものとして重要な意味を持ち、別れを惜しむ歌として広く親しまれて楽工の採用試験にも必須科目とされた歌謡、だそうです】
次は長歌形歌謡であり、高麗時代の断面をもよく表した「雙花店」について考えてみよう。歌詞は、『楽章歌詞』の所載であるが、第一節だけを載せる(縦読み)。
雙花店(饅頭屋)雙花買いに行ったら
蒙古人の主人が私の手首を握ります
この話が店の外でうわさされると、
(囃子)小さいお前、小役者、お前が言ったと思うぞ(囃子)
お前の寝所に私も行く(囃子)
こんなひどい寝所はみたこともない
全篇は4節から構成されており、その内容は、手を握るのがお寺の和尚、井戸の竜、酒屋の主人と変わってゆくばかりで、第1節とまったく同じである。
「雙花店」は忠烈王(1275-1308)の時代の作者未詳の作品とされている。
忠烈王の時代というのは、高麗が元の支配下にあり、王は国政を回復する努力よりも享楽におぼれるなど、社会の不安と混乱はその極みに達していた。
こうした社会の状況を進駐軍である蒙古人は饅頭屋に、仏教は寺の和尚に、王室は竜に、官吏は酒屋の主人に、それぞれ象徴されており、彼らの貧欲さを手を握るという表現で示したものであろう。
また、支配層の貧欲について彼らを責めずに、かえってそれをうわさにのぼらせる人のせいにしたことは、この歌がもっているユニークさである。
しかし、そうした支配層に対して、後句に示されているように、その貧欲さに国民はどうすることもできず、ただ流されて、寝所はますますひどくなってゆくばかりであると警鐘を鳴らしている。
このように「雙花店」は支配層を象徴化し、彼らの貧欲さかげん、その乱れぶりを情事にことよせて滑稽的に表しているものであるが、朝鮮時代になると、旧楽整理の際、男女が相悦ぶ詞であるから廃棄すべきであると、指弾をうけ、宮廷楽から除外されてしまうことになる。
そのかわりに、『時用郷楽譜』に収録されているように「雙花曲」と改題し、歌詞も漢詩体に変わって、王の徳を讃える内容のものに改撰された。
前代の郷歌と比べて高麗の歌謡の特徴を挙げると、高麗の歌謡は、形式において長歌形であり、内容においては男女の恋情・別離を主題とするものが多くみられることである。
とくに、優雅な女性の言葉でつづられている「西京別曲」、「カシリ」などから窺えるように、女性が自己感情を赤裸々に表現して歌人として登場していることが大きな特徴である。
《『基礎ハングル』第4号(1986年8月号)、三修社》 所収
《雙花店》は高麗時代の13首残った俗謡のうちの1首なのですね。
報道されているインソン君とジヒョさんの美しくも哀しい別離の場面・・・
楽しみです~~もういっぱい泣きそう~~
ヤスミン的には邦題は《凍れる花 》とか~いいと思いますけど~
쌍화점(雙花店)
만두가게에 만두를 사러 갔더니
회회(回回)아비가 손목을 쥐더라
이 말이 가게 밖에 나면 들면
다로러 거디러
조그만 새끼 광대 네 망이라 하리라
더러둥셩 다리러디러 다리러디러 다로러 거디러 다로러
그 자리에 나도 자로 가리라
위 위 다로러 거디러 다로러
그 잔 데같이 울창한 것이 없어라---
삼장사라는 절에 갔더니
그 절의 주인이 손목을 쥐더라 (후렴)
우물에 물을 길러 갔더니
우물의 용이 내 손목을 쥐더라 (후렴)
술파는 집에 술 사러 갔더니
그 집 주인이 내손을 쥐더라 (후렴)
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