2011-04-28

インソン君のインタビュー記事=『女性中央』



今頃になりましたが、『女性中央』 4月号掲載のインソン君のインタビュー記事翻訳文です。

『女性中央』 のこのインタビュー記事は、以前ブログに掲載した<中央日報>のインタビュー記事 →☆ と質問内容やインソン君の言葉は殆ど同じですが、+αの質問が少しありました。

またインタビューの前文と後文の内容や質問の順序、構成などが<中央日報>とは違っていて、インソン君の言葉としての「 」も省かれているなど、文章表現も違っておりました。

それから<中央日報>のインタビュー記事の後に出た、上の2本と同じくキム・ジュンスル記者の文による、『女性中央』 掲載のインタビュー記事の紹介記事 →☆ というものがありますが、これは本誌前文のごく一部を除いて全文が、『女性中央』 本誌と同文でした。

翻訳機による相変わらずの拙訳で間違いも少なくないと思いますが、全体のざっとした感じという程度に考えて、既掲載の<中央日報>の内容との重複を顧みず、『女性中央』 の記事の日本語訳を以下に試みてみました(句読点原文のママ・意訳あります)。






5月除隊を控えて
チョ・インソンの世上萬事


去る3月7日、京畿道(キョンギド)鳥山(オサン)の空軍軍楽隊。
2階練習室の扉が開いた。
一人の男が入ってきた。
186㎝の身長にすらりとした身体つきで、拳ほどの顔。
一瞥してエゴイスチックな外貌だった。
相変わらずの花美男俳優、ではなく ‘末年兵長’ チョ・インソンだった。
内務班生活もいつのまにか2年が経った。
5月初めに除隊だ。

当初彼から期待したのは空軍生活エピソードであった。
‘ チャムバブ ’(= ワンプレート形式の給食) 食べて ‘お仕置き’ うけて。
しかし彼は突然 『四書三経』 を話した。
修行に励んだようだった。
軍で人生観が変わったと言ったりした。
そんな彼がまた世間の外に出る。



フランスの哲学者 ジャン・ポール・サルトルは 「人生は B(birth・誕生)と D(death・死)の間の C(choice・選択)と同じだ」 と言った。
その通りだ。
人生とはいつも選択の連続だから。
軍隊は例外だ。
勝手に拒否することができないところだ。
しかしチョ・インソンはその中で選択の機会をつかんだ。
古典を通して。
三十の人生を振り返ったと言った。
花美男から男になったという感じがそういうことなのか。
「軍隊に行ってきて人間になった」 という言葉の持ち主がチョ・インソンだ。

近くで見たチョ・インソンは白くて張りのある肌が印象的だった。
写真記者がひとこと割り込んだ。
「後でフォトショップで補正する必要はないんだな・・・」
楽に軍生活を送ったことではないのかとそっと心気に触れてみた。


‘末年兵長’ ですが。しかし顔が良いですね

最近顔がやせたようなのですが・・・
分かりません、特に管理していることではありません。
規則正しい食事の御蔭ではないのか?
普段午後5時に夕食を食べにいきます。
その後間食はしないように努力しています。
本来部隊ではラーメンもたくさん食べるのですが 中から引っ張られるけれど(= 食べたい気持ちになるけれど)我慢する方です。


肌の管理を受けたように艶があります

軍隊では ‘スキンケア’ を受けることは出来ません。
睡眠をたくさんとってこそ美人になるということではないのですか。
ここでは規則的な睡眠が可能です。
社会生活をする時分は映画を撮影して起床時間が普通午後1時でした。
ここでは夜12時から次の朝4時まで確実な就寝時間です。


顔が他人の半分になった秘訣は何ですか

(冗談で)拳くらいの顔は実は空軍の平均です ハハハ。

チョ・インソンは自分自身をよく知っている俳優だ。
写真撮影をする時に少ししょげて低めの声で頼んだ。
「実のところ私は右側の顔がもっと良く出るのですよ。お願いします。」
記者が見るには両方卓越なのに・・・。
やはり誰にもコンプレックスはあるようだ。
自分のアキレス腱を尋ねる質問に彼は 「声に対するコンプレックスがある」 と言った。
「もっと低音だったらいいのに、できないです。
ところでこれは努力しても限界があることだから。」


外見はそのままだが軍生活を通じて‘人間チョ・インソン’はどのように変わったのか。

そうした質問を沢山受けます。
自問してみました。
‘私は何が変わったのか’ と。
しかしそれは未来志向的な質問です。
社会に復帰して仕事をしたり危機に遭った時に初めて軍で経験したことが発揮されると思います。
いま日可日否 (= あれこれ言い立てること)することは 私の省察力を越えることです。


もともと謙遜なのですか

‘葉が変わったとて山が変わったことではない’ という言葉があります。
共感します。
私もやはり社会生活の期間がもっと長い。
軍生活が私を‘ころっ’と変えたと言えば後に入隊する方々に負担を与えるのではないですか。
‘軍の生活がどれくらい人を大変にさせたら人間自体が変わったのか’と言われるのではないですか。ハハ。


列外ない軍生活をしていたら今は掃除博士

チョ・インソンに会いに行く前までは ‘首に力を入れるだろう’ (= 威張る)と思いました。
しかし彼は眞知で謙遜であった。
両手を膝の上に置いて静かな声で、しかし言いたいことをひとつひとつ話しました。
彼が使う用語と文章には哲学的な匂いがした。
ひと言で話が上手であった。


何故空軍に行きましたか。演技者ヒョンビンもそうだし最近は海兵隊が流行です

もともとは陸軍に志願しようとしました。
大部分がそうしているように。
しかし空軍兵士として勤務して下士官で除隊した父がヒントを沢山くれました。
他の方法で軍生活をすることが出来る方法もあると言いながら 母も言っていたのですよ。
‘空軍の制服がどれほど格好良いことか’ と言いました。
実はそのひと言が私を動かしたのですよ。
もちろん外出外泊が多いという長所も考えました。
父が言っていたのですよ。
一週間に一回ずつ出ることが出来ると。
実際来てみたらそうはならなかったですよ(笑)


外ではマネージャーが何でもやってくれたのではないですか。軍生活は不便だったと思うのですが

ここは規律と責任があるところです。
何でも六何原則(5W1H)に合わせて報告しなければならないし、そういう点が外の生活とは違いました。
しかし元々芸能人は道徳的にものすごく ‘辛い’ という物差しを持って生きています。
それが身についていて適応することは難しくはなかったです。
軍隊で行事と公演があるときは司会を主にしました。
軍規が強いところです。
舞台に立って他人に自分を見せる任務を果たしてきたのですが、そのとき綱紀で評価されるため気を付ける態度があります。


軍規が強いということはいわゆる過去に‘パッダ’(= しごき =バットで打たれるとか)の経験もあるのですか

ハハ。過激な行為や殴打はないです。
最近は憲兵隊が分期ごとに検査をします。
また匿名で通報も受け入れます。
私だけでなく他の古参兵士たちも問題が起きたら合理的に解決しようと大変努力しています。


苦労した経験は何ですか

記憶に残るエピソードはお手洗いの掃除です。
新兵教育を受ける時に私たちの(同)期生は三人でした。
私がいちばん年上できついお手洗い当番を任されました。
もともと年長者に大変な仕事をさせるのですよ。
配慮の次元です。
それを完遂したら次はもう少し簡単な仕事を配当することができるから。
お手洗いを経由してから ‘室’ 掃除の方へ行ったのですよ。
洗濯室・シャワー室・洗面室の方に ‘進級’ をするのですよ。
こうしたら掃除博士になります。
除隊して大きな建物に入ったらお手洗いを注視してみると思います。
多分このように指摘できると思います。
‘掃除はこんな風にすることではないのに’ と、ハハ。


有名スターとして古参たちが大目に見てくれなかったのですか

軍隊は列外がありえない所です。
自分自身が恥ずかしくてそんなことは出来ません。
軍にも各自領域があります。
単純に下の人ではないのですよ。
説得させてこそ共に生活していくことが出来ます。
あなたはそれをしなかったのにどうして私にさせる、このように思われるからです。
動機付与にならなかったら仕事をしません。
今の若者がどんな若者なのか。


どのように誠実だとしても ‘芸能人は肌に光沢がある’ (= 偉そうにしている)という傾いた視覚もあったと思うのですが

入隊前に宣言したことがあります。
‘失った一般性’ を取り戻してくると言ったのですよ。
しかし私がどんなに一般人のように行動しても他人の認識はそうでない時があります。
別に方法がありません。
私が人生で背負わなければならない荷物ですよ。
乗り越えて行かなければならない宿命のようなことだと思います。


軍楽隊長が耳打ちしてくれたのですが、後任兵達が兄貴のようについてきたそうですね

国防広報院にも芸能兵士がいます。
その方たちを貶下することではないですが、私はそういう友人たちより一般兵士たちと一緒に話したりあそびたかったりした。
もともとそういうことに自信があるのですよ。
お互いに交じり合って芸能人イメージは当然崩れると思って努力しました。
具合がわるくなったら面倒をみたりそうしました。


軍生活が体質のようです。長期勤務でも似合うと思うのですが

フーム、それはちょっと悩んでみて。
いや、次の生涯に一度・・・ハハ。


ヒョンビンが海兵隊に入りました。軍先輩として助言するとしたら

‘明哲保身’ という言葉が思い浮かびます。
『詩経』に出る一節です。適切な分別力で自分をよく保全するという意味です。


去年の秋 延坪島(ヨンピョンド)が北朝鮮から攻撃を受けたとき心情はどうでしたか

胸が熱くなりました。
本当に熱くなりましたね。
普段私たちも基地防御訓練や化生放訓練をするのですが実際状況が起こって・・・。
心の中には誰でも ‘マッチョ気質’ (= スペイン語の macho = 男 / 男っぽさ)が有ると言うではないですか。
延坪島をそのようにさせたものを許したくなかったのです。
当時空に F15Kが飛んでいたのですが数百㎞離れた所から目標物を撃てる威力を誇っているのですよ。
私の知人たちにそういう力をやたらと話してあげたかった衝動が起こりました。
行事の時に司会をしながら戦闘機の性能とか空軍の底力をすごく知るようになりました。
勉強もしたし。


『孟子』 『論語』 『大学』 『中庸』 を読みながら味わった快感

スケジュールがぎっしり詰まった厳しい軍生活を語っている間に チョ・インソンがふと本の話を取り出しました。
忙しいけれども日課が終わって隙間の時間があったら本をめくりましたと言った。
彼はこの題目でいちばんうきうきしているように見えた。
「実は外にいた時は台本以外には余り読まなかったのですが、ハハ。」
軍隊に入る頃に日本のノーベル賞受賞作家である大江健三郎の 『回復する人間』 (= 『恢復する家族』) に接した後 本の味が分かるようになったと言った。
何故かしらスッキリ感を感じたと言った。


最近読んだ本は何ですか

『ウォールデン』 (= 『森の生活 ウォールデン』)です。
法頂スニム僧様が推薦して選んだ本です。
実は軍隊で忘れられない思い出があります。
それは 『四書三経』 です。
ある日突然 『孟子』 が頭の中に浮かびました。
いちど読んでみよう、こういう思いでした。
しかし読んだ後に非常にスッキリしました。
それでは次は?
『論語』 に挑戦したのですよ。
行きがかり上 『大学』 と 『中庸』まで読みました。
実はこんな風に読んではいけなくて 『大学』 を先に読んで 『論語』 次に 『孟子』 を読まなければいけないのに。


チョ・インソンと古典はなじめない組み合わせなのですが

もともと私の頭の中には考えが多いです。
しかしそれを具体化して言葉で表現することが難しかったのですよ。
ところで 『孟子』 を読んだ瞬間に頭が整理されたと言ったらよいのかな。
とにかくそのような快感を味わったのですよ。
私が話したいことはそういうことだったのに、このように生きていきたかったのに・・・。
『論語』 は孔子と教え子の話なのですが、当時の状況の中に生き生きと入って あの人がどういう道を歩んできたのかを考えてみたら それが面白かったのですよ。
私は未来にどのように判断して生きてゆかなければならないのか、こういうことをあらかじめ提示してくれたような感じを受けました。


具体的に本から得た教訓があるなら

例えば 『孟子』 の 「反求諸己」 という一節があります。
問題が起きたら他人のせいにすることではなく 自分が分からないことを責めなければならないという指摘です。
人々はひたすら他人のせいにします。
世の中が私のことを分かってくれない、または認めてくれないとこのように不平も多いのです。
私はいつも等数をつけるとしたらいちばん ‘下手’ という考えで仕事をしてきました。
何故かというと世の中には ‘高手’ がとても多いからです。


最高の花美男なのに、自分を余りにも低評価することではないのですか

私は顔のために却って演技に対して渇望が多い俳優だと思います。
顔だけで評価されることを克服しようと不断に努力しました。
いずれにしても ‘ドキュメンタリー俳優’ にはなれないということをよく知っているからです。
しかしそれでより一層顔でだけ認められまいと、きつい作品をたくさんしてきました。
さらに世苦、さらに激しくということですよ。


主人公で輝くことは意味のないこと、人生も同じ

誰でも新しい世の中を怖れる。
チョ・インソンも違いがないと思う。
彼は 「不安がないと言ったら語弊があること」 と言った。
「血が沸く歳に演技に対する渇望が多いときに軍に来た」 と言った。
幸い忠武路(チュンムロ)では ‘除隊を待つ1順位俳優’ として彼を指折っている。
そういう期待感はファンたちも同じだ。


人々が‘俳優チョ・インソン’を待っている理由は何だと思いますか

何か可能性を期待しているからだと思います。
今まで出た作品を見ている人ががっかりしていないことだと受け入れたいです。
そういう期待感があったら機会はまた来るでしょう。
それで除隊してから飛び込んだ作品も楽に仕事できると思います。


自分だけの ‘演技哲学’ を言うとしたら

メソッド演技 (method acting) を志向します。
劇中人物と同一視される極事実主義的演技なのです。
たとえば計算されない演技なのです。
それで起伏がひどいかもしれません。
役柄を理解出来なかったら演技にならないのです。


俳優は任された役を消化させなければならないのですか

私がしっくりいかなくて演技ができない。
たとえば台本を見た時に面はゆく感じる部分があるのですが、大きい脈絡が理解できなければならないのです。
そうではなかったら作家や監督に ‘これをどうやって表現しろというの’ と問い詰めます。
ドラマ ‘バリでの出来事’ もそれが納得できてそういう演技が出たのですよ。
無論理解ができなくても適当に演技することはできるのですよ。
しかし観客にそれを見せることは出来ないのではないですか。


演技するとき価値を盛る表現をしようとしているのですか

一人で輝くのは意味がありません。
自分で力をはき出すにもそれを誇示するよりは相手を引き上げてあげる演技者が素晴らしいと思います。
ハ・ジウォンさんがそういう事例です。
ジウォン姉は余りにも演技に安定感があって相手をよく支えてくれます。
実はそれがどれくらい難しいことか。
しかしこれを上手くしたら結果的に自分ももっと輝くようになると思います。
人生もそうだと思います。
私も年を取ったら助演の仕事をもっとしたいです。


歳がいっぱいになるが結婚はするのですか

自分で分かっていて自給自足しなければいけないのに・・・、ハハ。
私は性格的に問題があるかもしれません。
芸能人として女性に会ったらものすごく負担感を感じるのです。
本来の姿を見せることが難しいです。
そうだとして自分の本来の姿がロクでもないことでもないのに。


インタビューが終わった後写真撮影をした。
1時間かかった。
主宰チームが冗談を言った。
「本来は服を脱いで男性美を強調した写真を撮ろうとしたのですが」
恥ずかしげな答えが返ってきた。
「もともと身体がやせていてそんな写真は・・・」
しかしチョ・インソンはプロらしかった。
いやなことを一度も言わずにいろいろなポーズを取ってくれた。
彼は軍隊で人と交わる方法を学んだと言った。

「俳優はアンサンブルのように働きます。
多いときはスタッフだけで150人位ですよ。
軍生活も一緒です。
理解して、説得したらついてきます。
兄貴のような感情、彼を通しての融和、まさにそれがリーダーシップではないでしょうか。
単に軍隊だけで通じる話ではないと思います。
逆説的に外の世の中で生きていく方法、
それを私は軍隊で学びました。」


企画:ユン・ヘジン
記事・文:キム・ジュンスル(中央日報記者)
写真:パク・ジョングン(中央日報記者)
中央日報企画室





もともと私の頭の中には考えが多いのです。
ところで 『孟子』 を読んだ瞬間に頭が
整理されたと言ったらよいのかな。とにかくそのような
快感を味わったのですよ。





道をつくるように 『孟子』 『論語』 を読んで列外なしに送った 2年、
軍で人との交わり方を学びました。





以上、中央日報のキム・ジュンスル記者は、英文記事も入れると都合4通りのこのインタビュー記事に関わったことになりますが、それらの彼の所感からは取材したインソン君の人となり(+美しさ)に感激している様子が伺われて、嬉しいです。

『女性中央』 の翻訳に関しては、自分の粗忽さから当初3月号を取り寄せてしまったところでつまずき、先に訳した<中央日報>の内容とインソン君の言葉は同じようだし、と翻訳を諦めたてみたり、いや、やはりそれではだめだと4月号を再注文したりと、バタバタでした。

でも本誌が届いてみるとインソン君は思っていた以上に素敵で、チョ・インソン兵長ではなく、私は俳優チョ・インソンを感じました (<中央日報>での初見のときからですけれど )。

インソン君、お出迎えに行かれなくてごめんなさい、あと6日ですネ、本当に楽しみです。

    

                   

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