2009-01-13

柳河監督のインタビューⅩ


ユ・ハ監督のインタビュー、昨12日の記事です~0n time に近付いてまいりました~

◆“チョ・インソンをこんなにぱっとむいても良いが迷った”◆

この監督の冬は寒くないようだ.なおさら息詰まるように熱い映画なのに観客反応まで熱いからね.‘霜花店’柳河(46) 監督だ.高麗が背景の激情メロ‘霜花店’は2株に200のみを越しながら宣伝している.そうしてみればデビュー作‘風吹く日なら鴨鴎亭洞へ行かなければならない’以外にはずっと安打を打って来た興行監督だ.写真撮影のために188㎝の大きい背をへっぴり腰に曲げた彼は“斉家 (背がカーソルー) 巨匠です”と言いながら笑った.

#チョ・インソンの熱情なかったら不可能だった映画

-スタートが良い.

“まだ初盤で,興行はマラソンではないか.小さなサイズの内密した宮廷秘史で撮ろうと思ったが史劇になったら規模が大きくなった.ガソリン値段だけ2億が野位に.製作コスト(スンゼ 80億ウォン)が増えたのがいつまでも負担だ.”

-恋敵だった男女が致命的な愛に陷る劇的構造が坦坦だ.シナリオはどんなに構想したか.

“‘情愛’の時の心残りが多かった.もうちょっと破格的なメロ,サルネムセがあるメロをしたかった.‘霜花店’は精神的愛の結果物としてセックスではなく,肉体的愛で精神的愛が出発する話だ.エロチシズムというのがにせ物死の世界と同時に,生と死,生と暴力がもつれる肉体性の祭りではないか.”

-度強いセックス場面が多い.原則は何だったか.

“大島渚監督の‘感覚の帝国’(‘愛のコリーダ’)のようにもっと行けなかったのが惜しいだけだ.‘霜花店’はスローテンポに音楽敷かれる,きれいで幻想的なセックス映画ではない.ホングリムと王后がセックスしてばれる場面でも抱擁してかかろうか,セックスしてかかるかをおいて2~3時間激論をした.私は最大限下品にかかろうと言った.抱擁してばれれば観客はホングリムが可哀想だと感情移入する.包装なしに醜くばれる方が生の具体性を見せてくれると思った.”

-“すべてのものをお見せした”と言うチョ・インソンの挑戦が驚くべきだ.

“俳優たち,特にホングリム役を引き受けたチョ・インソンの熱情と犠牲がなかったら不可能だった映画だ.インソングイ全裸セックス場面を撮って出る眠りため息寝る事ができない.CF スターでもあった彼をこんなに肉欲的にぱっとむいても良いのか,監督としての欲心とファンの反発の間で迷った.商業的欲心と作家的欲望が衝突する時も多かった.観客が表示苦しがる王とホングリムのディープキス場面だ.”

#マッチョに対する軽蔑と魅惑が映画動力

-同性愛素材はどんな意味か.

“メールへの劇的装置にだけ思ったが,観客反応を見て私が酷い同性愛映画を作ったな感じる.実は‘霜花店’は作られた人間型に対する話だ.作られた性整体性(同性愛者)で住んだホングリムが自分のアイデンティティを悟る瞬間すべてのものを失う.私の一貫した関心事であるマッチョイズムにも触れ合っている.私はマッチョ的に育てられたが同時に彼を軽蔑したりする.マッチョに対する軽蔑と魅惑が私の映画的動力であることだ.ホングリムを通じて雄性を,王を通じてはマッチョイズム,男根性の彼岸を見せてくれようと思った.同性愛の基本的悲劇性と言うのは,子を生むことができない不毛性のユートピアを夢見ることではないか.”

-シナリオを書く時せりふが口に付くのか直接せりふを打ちながら書いて,俳優たちの私生活統制もしたんだって.

“俳優たちがキャラクターからすり抜けて来ることができないように,随時に何をするのかチェックした.学ぶ褒め言葉を暮らす動物なのに飛ぶ褒め言葉が弱い方だ.代わりに演技がぎこちなければ俳優にもっと要求するより私のシナリオを疑う.9割はせりふや指紋の過ちだ.”

-これから計画は.

“監督は映画を撮る時外にはイェギッゴリを探し込むアイテム乞食たちだ.私は主に空想をする.監督は自分の映画を通じて自分の無意識を見つけるのに今まで私の映画は主人公がすべて死んで痴情·破綻·悲劇など死のイメージがとても強かった.映画を撮るうちに自らもたくさんバグる.映画を通じて私がいくらニヒリストなのかケダッヌンダルカ.次の番は明るくて愉快な映画をしようと思う.” 

[ヤングソングフィ記者,写真=ゾンググンヤングインターン記者]


柳河監督,彼は誰?

映画界で小説集『鹿川にはくそが多い』のこのウィンドウ洞さんと一緒に代表的に指折る門である出身監督だ.1989年デビュー詩集『武林日記』と91年『風吹く日なら鴨鴎亭洞へ行かなければならない』で一躍90年代詩界の寵児に浮び上がった.大衆文化的感受性を気配係に引き入れた彼に評壇は‘キチムンファの中毒者と同時に反省者’というタイトルを与えた.
                           ユ・ハ監督作品《情愛》の一場面

監督デビューは93年オム・ジョンファ チェ・ミンス主演の‘風吹く日なら鴨鴎亭洞へ行かなければならない’だった.才気煥発した詩人の映画挑戦は惨敗だったが切歯腐心あげく出した‘情愛’(2002)ではかるのに成功した.引き続き80年代男高校を舞台で韓国男性(家父長)の形成を見せてくれた‘マルチュク青春通り’(2002),義理に包装された馬草(組織暴力団)の世界を拗った‘卑劣な距離(通り)’(2006)で好評を博した.

‘霜花店’は‘卑劣な街’のチョ・インソンとまた意気投合した映画.セクシュアリティ(‘情愛’)→暴力(‘マルチュク青春通り’‘卑劣な街’)から再びセクシュアリティに帰って来た映画だ.忠武路の卓越な語り手’らしく劇的な話織造力が引き立つ.主類大衆映画の安定した文法の中で人間本質に対する強烈な質問を投げる‘柳河切符’映画だ.

99年詩集『私の愛は蝶のように軽かった』以後詩作は閉業中だ.“最初には時の拡張で映画を対したが,ますます映画自体に境外感を感じる”と言う監督は “もう私に詩と映画は一つ,映画を通じて時を書いている”と言った.

[中央日報 Culture 2009.01.12 19:12]
http://article.joins.com/article/article.asp?ctg=15&Total_ID=3452907


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